#8 妻が糖尿になりまして
病名告知
告知の意味
告知という漢字は、「告げる」と「知らせる」の二つの行為で構成されています。告げるという一方通行ではなく、知らせるという対話の意味も含まれます。病院は、患者にただ病名を告げるだけではなく、正面から患者との対話をしてていく覚悟で告知するのだそうです。
妻への「糖尿病」告知
帝王切開で生まれた子供は、8歳になり、だいぶ手もかからなくなり、妻はパートに出るようになっていました。おしゃれなカフェで楽しくやっていたと思います。その時店のオーナーに言われます。
「健康診断いっしょにいかない?」
やっときましたお誘いが。8年前うやむやになり、忙しさで後回しにしてきた「健康診断」です。
妻も40歳を超えていましたので、簡単な健康診断は無料です。
そこで、重い腰を上げました。妻自身いい加減やばいかも……。と思っていたようで、ようやく病院に行きました。
そして、すぐに検査の結果通知がきました。そして明記されていました。
妻への告知は、紙一枚。
「血糖値が高いです。至急、要再検査」
妻は血糖値の数値を何度も見直しこういいました。
「糖尿病になっちゃった」
そして、病院で正式に「二型糖尿病」と告知されたのです。
告知を受けてからの妻
この国立がんセンターの資料の通りでした。がんが告げられたわけではありません。もっと重大な難病の告知をうけてしまった人とは比べる事はできないと思いますが、妻にとって、「糖尿病」という病名の焼き印を押されてしまう事は、とても大きな事には間違いありません。
第一期 衝撃の時期
あたまの中が真っ白になり、何も考えられない、信じられないといった状態です。およそ一週間ほど続きます。
妻は、「もう好きなものを、おなかいっぱい食べられない」もう死んだと同じだ!と情緒不安定になってしまいました。家族のご飯は作らなければならないし、自分は糖質制限だし、もうパニック状態です。「旅行に行っても、おいしそうなお店を見つけても、何も食べられない!」
妻の前でご飯を食べる事が出来ないくらいです。食べ盛りの子供が食べているのにも文句を言い出すほど、情緒不安定でした。
第二期 不安・抑うつの時期
病気や今後の生活に対する不安や、落ち込みを経験する時期です。
この時期も一週間ほど続きます。
自分の「糖尿病」の合併症について不安になり始めます。脳血栓、心筋症、腎臓病、神経障害、網膜症などが不安になり、いろんなネット情報を見始めます。その時、丁度、糖尿病になってしまわれたグレート義太夫さんのTVを目にします。
糖尿病で、腎不全をわずらい、人工透析をしているという内容でした。
じつは、よりによって前年、うだつのあがらない私のせいでお金に困り、妻の保険を解約し、簡単な保障内容の保険に入り直していたので、保険の事も気になり、落ち込むようになってしまいました。ストレスからか、まぶたのけいれんがとまらない現象が始まる。(これは今も治っていない)
第三期 適応の時期
病気という事実を受け入れ、現実的な対応ができるようになる時期です。
正直、この時期にいつ入ったとか、全く考えらえないくらい、いつも情緒不安定で、お金もないのにネットでばんばん買い物を始めたり、なんだかあぶなっかしい状態でした。
しかし、この頃から、妻の心にちょっと前にやっていた「美食探偵」をみて、新しい考えが芽生えて来たのです。
美食探偵とよばれる、明智五郎は言います。
「もし、明日死んでしまうとしたら、あたなは何を食べますか」
最後の食事を何にするか、をテーマにしています。
最初は、妻はこれを見るたびに、一言「ケーキを、ホールで」といっていました。
しかし、妻も覚醒します。
人生80年と仮定すれば、1日3回食られるのは87,600回。それしかない。40越えたから、43,800回だから、1回の食事も無駄にできない!
一食入魂! 一回の食事に全集中です。
妻はだんだん前を向き始めます。
つづく
余談:父の告知のケース
私の親父は、「脳腫瘍」というガンで、67歳で亡くなっています。
親父はショックを受けやすい性格でした。すぐに落ち込んでしまう性格を知っていた母は、最初に病院で、ガンかもしれないと言われた時に、親父には「内緒」にしよう。という事にしていました。
「簡単な検査だから」とか、「すぐに終わるみたいだよ」とかなんとかごまかして、病院に連れていって、詳しい検査を重ねていました。私達家族も、おそらくガンだろうという気持ちを持ちながら、「疲れがたまったんだよ」なんてごまかしながら、親父にさとられないように気をつけて生活をしていました。
そして、検査結果の報告があると病院に呼ばれました。
待合い室にいると、親父と母と私が呼ばれ、三人で診察室へ、。
今でもはっきり覚えています。本人の目の前で、いきなり言われました。
「あなたは、脳腫瘍 ステージ5です。出来る限りのことはします。一緒にがんばりましょう。ただし全てを取り除く事は難しいでしょう。」
が~ん。隠しておきたかったのに。いきなりか~い。
びっくりしました。でも、今はこれが望ましいのだそうです。
よっぽどでない限り、患者と家族の同時告知が、今の病院の常識だそうです。
家族が患者に病名を隠したがることで、治療のさまたげにならないようにするのだそうです。
そして、病院と、家族全員で病気と闘うのだと。
そんな事は知りませんでしたので、私は思わず医者に言いました。
「父にショックを与えたくなかったのですが……」
すると、平然と医者は言いました。
「おそらく、お父さんは、三日後には忘れています。それほど進行しています」
言葉がありませんでした。
医者の言う通り、数日後には何で自分が病院にいるのかも忘れ、そして、半年後に亡くなりました。
「なんで俺、調子悪いんだろうな」親父の最後の言葉でした。
#1~#7までもぜひご覧下さい。
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