#5 妻が糖尿になりまして
玄関を急いで開けると、電気がついていません。
「どうした!ママ!」
急いで電気をつけると、目の前に現れたのは大量の血!
あわてて靴をぬぎ、その血をたどりました。
すると、裸同然のかっこうで、妻がリビングで倒れていました。風呂場から血がそこまで続いているようでしたので、
「風呂場で何かあったのか?何があった!」
私は叫びました。
その時、私の4歳の子供、【まり(仮名)女の子】は、もう泣いてはいませんでした。妻の側に座り込んでいたように思いますが、私は気が動転してしまいあまり覚えていません。
「パパ……」かすかに妻の声がしました。「赤ちゃんやばいかも……」
頭がまっ白になりました。妊娠してまだ5ヶ月にもなっていないのに、大量出血してしまっていたのです。
子供とお風呂に入っている時に出血したそうで、確実に一時間以上たっています。
会社で電話に気が付かず1時間、会社から急いで帰ってきて30分です。
近くに親がいれば……。自分が選んだ道を、私は初めて悔やみました。
時間は夜7時。もう完全に外は真っ暗なっていました。
「なるべく動かない方がいいと思ってじっとしてる」
血は止まっていたようですが、妻は真っ青な顔をしていました。
ひとまず通っている産婦人科に電話すると、
「動けますか」との事。入院の準備をして、救急車ではなく、自分の車でゆっくり来てくださいと指示を受けました。
妻は、こういう非常事態の為に、保険証やら着替えはすでに、一つのバックに入れて、わかりやすい所に準備してありました。さすが、繊細さん!用意周到じゃん!
それを手に、急いで子供を連れて、自家用車で病院に向かいました。すると、病院側は、全てを準備して待っていてくれていて、妻は車を降りると、ベット担架に乗せられ、奥の部屋に消えていきました。
入院の書類を書き終えた頃には、夜8時を回っていました。
その時、子供の成長に驚く
自分のやることに精一杯だった私は、とりあえず落ち着いて、その時はじめて子供の事を思い出したのです。
「あっ、まり。そう言えば、ご飯食べてないよね」
夜8時をとっくに越えていました。
「うん。おなかすいた」まりは、静かに言いました。
鳥肌が立ちました。思い起こせば、まだ4歳の子供が、妻が血だらけで倒れている側に座って寄り添い、病院に来て、バタバタする中で、私が、子供の事を完全に忘れて医者や、看護士さんと話をする中、ずっと、一言も声をださずに私の側にいたのです。今日も幼稚園で遊んで来たはずなので、もう眠いでしょう。しかも、おなかも空いているはずです。
「まり、ごめんな。すぐにご飯にしよう」
妻の診断結果がでるまではまだ時間がかかりそうでしたので、食堂に向かいましたが、もう食堂はしまっていました。しょうがないので、売店であんパンを買いました。
消灯時間が近く静まりかえった病院のロビーで、二人でパンを食べました。
「二人でご飯たべるのって初めてだな。パパの分も食べたかったらいいよ」
私の持っていたあんパンを渡すと、うれしそうにパクパクほおばりました。
こんなにお腹がすくまで、一言も言わなかったなんて。
ぐずりもぜず、取り乱す私や妻のそばにいたなんて。
涙が出てきました。知らない土地で頑張っていたのは、大人だけじゃない。
おじいちゃんや、おばあちゃんにもかわいがってもらえず、家では妻と2人きりでこの子も頑張っていたんだな。
まだ年少さんなのに、こんなにも成長していたんだ……。
あの時の子供のパンをほおばる姿は、一生忘れないでしょう。
驚きの診断結果
待っている間も完全にダメだと思っていました。しかし、下された診断は『切迫流産』というものでした。
切迫流産とは
胎児が子宮内に残っていて、流産の一歩手前の状況です。「切迫流産」とは、「流産」とは違い、妊娠を継続できる可能性があります。
医者の説明によると、最近「切迫流産」が増えているそうで、世間の晩婚化、高齢の出産が多くなってきたからではないかと言います。実際、妻はこのとき、35歳。当てはまります。
妻のケースは、胎盤の下に血のかたまりが出来て、大量出血したそうです。入院して、安静に自然に吸収されるまで待つしかないとのこと。
その時の、妻のお腹のエコー写真を見ると、すごい事になっていました。ほとんどが血のかたまりでおおわれ、すこーーしの空間に子供がいました。
まるで、風呂の水が抜けていって体がつかるすれすれでなんとか粘っているみたいでした。
安堵の次に襲う不安
「切迫流産」って「流産」じゃないの?
名前に流産が付くので、最初に聞いた時はドキドキしましたが、なんとか子供は大丈夫でした。
妻と私も安心しました。しかし、先生の言葉に息をのみました。
「入院はおそらく一ヶ月くらいかな。この「切迫流産」の治療法は、安静にしているしかないんだよ。経過をみてだけどおそらく、それくらいかかるだろう」
が~ん
おもわず次に出た私の言葉はこうでした。
「ごはんどうしよう。幼稚園の準備とか、送り迎えどうしよう……」
私の仕事は始めたばかりなので、そんなに融通はききません。
都会の金なし核家族。おまけに妻の頼めるような友達なし。私も転職したばかりで友達なし。
ないないずくしで大ピンチです。
つづく
最後まで読んで頂きましてありがとうございました。
こうなるまでの経緯は#1~#4で記事にしていますので、読んでいただければ幸いです
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